令和元年度 ふじ89号所載
子どもという自然
理事長のお役を御免になって、一年以上が過ぎた。子どもたちと虫採りと称して外に散歩に出るのは相変わらずだが、変わったことがある。
それは子どもにウルサイと平気で言えるようになったことである。子どもはウルサイに決まっているので、それでいい。そう思うようになった。いわれた子どものほうもなんとも思っていないらしい。ウルサイといっても、相変わらず騒いでいるからである。
なにか社会的な役柄があると、人は無意識にその影響を受ける。だから私は勤めが嫌いだったんだなあと、いまではわかる。役割なりの態度を取らなければならない。どこかでそう思っていて、その影響が思わぬところに出る。だから医者は医者らしいし、先生は先生らしいのであろう。
いまは私に決められた社会的役割はない。ただの爺さんが子どもたちと歩いているだけだから、いい気持である。自分に素直になれる。だから「ウルサイ」なのである。べつに子どもたちが静かにしなくたって、知ったことではない。こちらが死ぬわけではない。隣の工事の機械の音のほうがよほどやかましい。
私は自然が好きで、虫が好きで、だから子どもが好きなのである。暑い時は暑いなあとぼやき、寒い時は寒くてやだなあと文句をいう。天気が良くて気分がいい時は、いい天気ですなあという。子どもが騒げば、ウルサイという。それだけのことである。社会で働くと、それができないことが多い。それをストレスというらしい。
子どものお相手をしていて、自分を発見する。最近は素直になったなあ。子どものおかげである。子ども相手に威張ってもしょうがないし、お世辞をいってもムダである。素直に正直に付き合うしかない。お天気や虫と同じですね。